ことば

「資質・能力」と学びのメカニズム

以上、有意味学習、オーセンティックの学習、明示的な指導という、「主体的・対話的で深い学び」を実現するための3つの事業づくりの原理について見てきました。 三つの原理は、理念的にはそれぞれに独立してはいますが、実際の授業づくりやカリキュラム作り…

「資質・能力」と学びのメカニズム

その意味で、今こそ教科内容研究が決定的に重要です。それは、高校の教材やその取り扱い方を検討する教材研究より一段奥にある、教科内容そのものの研究です。そんな作業があるということ自体、すでに若い世代は知らないかもしれません。しかし、その教科な…

「資質・能力」と学びのメカニズム

もしかすると、教科の得意・不得意のかなりの部分は、この点に行をするのではないでしょうか。なぜなら、この統合的概念化に成功した途端、バラバラとたくさんのことを勉強してきたと思っていたその教科が、ある一環した発想なり原理で世界を眺め、枠付けて…

「資質・能力」と学びのメカニズム

いかに科学的な原理に則った実験や観察であっても、単に数多く経験しただけでは、科学的な「見方・考え方」や方法論を身に付け自在に繰り出せるようになるには、なお不十分です。さらに、表面的には大いに異なる複数の学習経験を俯瞰的に眺め、そこに共通性…

「資質・能力」と学びのメカニズム

本来異なるカテゴリーに属する者同士を独自の視点や理論により大胆に「つなげる」「見立てる」「例える」といった思考の様式、かつてレヴィ=ストロースが「野生の思考」と呼んだものが豊かに作動しているのです。P134

「資質・能力」と学びのメカニズム

教育学では、カリキュラムには3つの編成原理があると考えてきました。その第一は「文化遺産の継承・発展」、第二には「社会現実への対応」、第三は「子供の求めの実現」です。P118

「資質・能力」と学びのメカニズム

学校教育と社会の関係をめぐっては2つの考え方があると、教育学では整理されてきました。 1つは、その時代の社会が要請する人材を過不足なく適切に供給できるよう、社会の変化に遅れることなく、しっかりとついていくのが学校教育の任務であると言う考え方で…

「資質・能力」と学びのメカニズム

コンテンツ・テストのスコアに現れる要素的知識の単なる所有は、質の高い問題解決の十分条件ではなかったのです。 では、何が職務上の業績を予測するのでしょうか。この探求に際してマクレランドは、卓越した仕事ぶりを示す職員と凡庸な業績しかあげられない…

「資質・能力」と学びのメカニズム

教科等の本質とは、その教科等において特徴的に現れる、その教科等ならではのものの見方・考え方なのです。 今回の改定では、これを「各教科等の特質に応じた「見方・考え方」」と表現しています。そして、「見方・考え方」について答申は、「どのような視点…

街場の文体論

「鼓腹撃壌」という故事がありますね。賢君の誉れ高い帝尭の知性についてのお話です。尭が自分の国はきちんと治まっているだろうか国見に出かけます。すると,老いた農夫が「劇場(ボーリングとかペタンクの古代中国版のような遊びらしいです)」に打ち興じ…

街場の文体論

後天的な努力によって身に付けた文化資本は「禁欲主義」の馬脚をすぐに表してしまいます。必死で勉強して覚えた知識なので、見たことのない映画についても、聴いたことのない音楽についても、飲んだことのないワインについてもつい「それについて知っている…

街場の文体論

子どもの時から自然に身に付いた趣味の良さは「文化的正当性を手にしていると言う確信に伴う自身」をにじませますが、それだけではありません。(文春文庫 p.136)ミシマ社,2012.5

街場の文体論

これはフランス人の階層社会が生み出した病気だと思います。「知りません」という言葉を口にできない。「知りません。教えてください」という言葉を口にすることは恥だと思っている。駅でも、郵便局でも、ホテルのレセプションでも、レストランでも、観光客…

街場の文体論

でも、「個体識別できない」というのは言い方を変えると「いくらでも替えが効く」ということです。ひどい言い方をすれば、「いなくなっても誰も気がつかない」ということです。エクリチュールの及ぼす標準化圧力に対してあまりに無自覚だと、人間としての扱…

街場の文体論

僕は今「クリエイティブ・ライティング」という授業をする大学の先生として教壇に立っています。だから、それにふさわしい話し方をしています。でも、それだけじゃない。服装も表情も身体の動かし方も、実は全部「大学の先生」的に統制されているんです。(…

街場の文体論

司馬遼太郎の文学は日本人のためのものなんです。日本人を抱きしめ、叱り、励まし、導く。国民を相手にして描いている。もちろん、素晴らしいスケールの企てだと思います。でも、外国人の読者には「自分は読者に想定されていない」ということがなんとなくわ…

街場の文体論

どんな書物からでも僕たちは輝く叡智の言葉を読み出すことができる。(文春文庫 p.69)ミシマ社,2012.5

街場の文体論

この「本と目が合う」というのは、一体どういう出来事なんでしょう。一つは本が発する物質性です。(文春文庫 p.67)ミシマ社,2012.5

街場の文体論

それは本の厚みがないということです。だから、残りページがわからない。残りページがわからないと、本てすごく読みにくいんです。(文春文庫 p.59)ミシマ社,2012.5