「資質・能力」と学びのメカニズム

 コンテンツ・テストのスコアに現れる要素的知識の単なる所有は、質の高い問題解決の十分条件ではなかったのです。
 では、何が職務上の業績を予測するのでしょうか。この探求に際してマクレランドは、卓越した仕事ぶりを示す職員と凡庸な業績しかあげられない職員を国務省に選んでもらうとともに、職員に詳細な面接を行います。その結果、以下の3つが、卓越した職員を凡庸な職員から区別する要因としてみなされました。
①異文化対応の対人人間関係感受性:異文化に属する人たちが語り、意味することの真偽を聞き取る能力、彼らがどう対応するかを予測する能力。
②他の人たちに前向きの期待を抱く:敵対する人も含め、全ての他者の基本的な尊厳と価値を認める強い信念、さらにストレス下でもこの前向きの信念を保ち続ける能力。
③政治的ネットワークを素早く学ぶ:そのコミュニティーにおいて誰が誰に影響を及ぼしており、各人の政治的、権力的立場がどのようなものかを素早く察知する能力。P57

「資質・能力」と学びのメカニズム

 教科等の本質とは、その教科等において特徴的に現れる、その教科等ならではのものの見方・考え方なのです。
 今回の改定では、これを「各教科等の特質に応じた「見方・考え方」」と表現しています。そして、「見方・考え方」について答申は、「どのような視点で物事を捉え、どのような考え方で思考していくのかと言う物事を捉える視点や考え方」(33ページ)と説明しています。P46

街場の文体論

「鼓腹撃壌」という故事がありますね。賢君の誉れ高い帝尭の知性についてのお話です。尭が自分の国はきちんと治まっているだろうか国見に出かけます。すると,老いた農夫が「劇場(ボーリングとかペタンクの古代中国版のような遊びらしいです)」に打ち興じながら,お腹を叩いて歌を歌っている。(文春文庫 p.141)ミシマ社,2012.5

街場の文体論

後天的な努力によって身に付けた文化資本は「禁欲主義」の馬脚をすぐに表してしまいます。必死で勉強して覚えた知識なので、見たことのない映画についても、聴いたことのない音楽についても、飲んだことのないワインについてもつい「それについて知っている」ことを誇示してしまう。(文春文庫 p.136)ミシマ社,2012.5

街場の文体論

子どもの時から自然に身に付いた趣味の良さは「文化的正当性を手にしていると言う確信に伴う自身」をにじませますが、それだけではありません。(文春文庫 p.136)ミシマ社,2012.5

街場の文体論

これはフランス人の階層社会が生み出した病気だと思います。「知りません」という言葉を口にできない。「知りません。教えてください」という言葉を口にすることは恥だと思っている。駅でも、郵便局でも、ホテルのレセプションでも、レストランでも、観光客相手の接客をするのは、申し訳ないけど、階層上位の人ではありません。彼らは「知らない」と「教えてください」を口にすることを制度的に禁圧されている。そのセンテンスを口にすると人に侮られ、いらぬ借りを作ってしまうと信じている。でも、僕たちが社会的な上昇を果たしたいと思えば、現実的には方法は「それ」しかないんです。自分が何を知らないかは、何ができないのかを正確に言語化し、自分に欠けている知識や技能や情報を有している人を探し出して、その人から教えを受ける。「知りません。教えてください。お願いします」。学びという営みを構成しているのは、ぎりぎりまで削ぎ落として言えば、この三つのセンテンスに集約されます。自分の無能の自覚、「メンター」を探り当てる力、「メンター」を「教える気」にさせる礼儀正しさ。その光は整っていれば、人間は成長できる。(文春文庫 pp.132-133)ミシマ社,2012.5

街場の文体論

でも、「個体識別できない」というのは言い方を変えると「いくらでも替えが効く」ということです。ひどい言い方をすれば、「いなくなっても誰も気がつかない」ということです。エクリチュールの及ぼす標準化圧力に対してあまりに無自覚だと、人間としての扱われ方が雑になるというリスクを引き受けなければならない。そういうことです。(文春文庫 pp.128-129)ミシマ社,2012.5